日別アーカイブ: 2015年6月26日

胡椒

料理の真髄となる、”ビヤン・アセゾネ・ビヤンキュイ(良い下味と良い火入れ)”に必要不可欠な役者である塩の女房役。

”アセゾネ” とは、下味を意味しますが、料理のレシピ等を見ると、そのほとんどの場合、”塩、胡椒をする”という具合に対で書かれています。
やはり、塩に次いで西欧料理に不可欠な役者です。

胡椒は風味が飛びやすく、特に挽いた後はすぐに香りが逃げてしまうので、本当にその風味を楽しみたいのであれば、粒のままで保存しておき、使用のたびにペパー・ミルで挽くのがベスト。
ボウリングのピンみたいな”あれ”です。
円筒形のボディに擬宝珠のようなハンドルの付いたもので、安価なガラスとプラスチックヘッドから成るものから、木製の、デザインに優れた芸術品まで、いろいろな種類があります。

有名なのはやっぱりプジョー製で、高級品。クルティーヌでもプジョーのミルを使用しています。
フランスの車といえばプジョー社というくらい有名で、車の部品を作るのと同じ精密な技術(螺旋歯車の二重構造が粒を集め、装置の下部へ導き、粉砕前に固定する。)を駆使して作られたミルは、非常に軽く挽けて、使いやすく、壊れにくい。

臼の部分が摩滅しないのも特徴で、その部品に関しては、永久保証を謳っている。適切に使えば、50年でも100年でも使える(はず)。
実際、今、クルティーヌで使っている大振りのミルの一つは結構な年代物で、イヴ・シャルルから受け継いだものだけれど、今あるミルの中では一番使いやすく、一番使用頻度の高い胡椒を入れています。

胡椒は、唐辛子、辛子(マスタード)と並ぶ、世界三大香辛料のひとつです。
ちなみに大航海時代の三大香辛料は、胡椒、丁字、ナツメグだった様ですし、その後シナモンが加えられ四大香辛料とも呼ばれていました。
実は、唐辛子は、コロンブスがアメリカ大陸を発見して初めて世界に知られ、瞬く間に広まった比較的最近のスパイスです。

胡椒は「スパイスの王様」とも言われ、中世のヴェネチア人は、この香辛料を指して「天国の種子」と呼びました。

胡椒は、抗菌・防腐・防虫作用があるので、冷蔵技術が未発達の中世では、王宮料理に欠かすことのできないもので、食料を長期保存するためのものとして極めて珍重されています。
ヨーロッパの様々な料理に使われて、その影響を受けたその他の地域の料理でも使われています。ですので、インドへの航路が見つかるまでは、ヨーロッパでは非常に重宝されていました。
あの十字軍、大航海時代などの目的のひとつは胡椒であったとも言われています。

中国では西方から伝来した香辛料という意味で、”胡椒”と呼ばれました。(胡は中国から見て西方・北方の異民族を指す字、椒は香辛料という意味です)。日本には中国を経て伝来しており、そのため日本でもコショウ(胡椒)と呼ばれます。トウガラシが伝来する以前には辛味の調味料として現在よりも多用されていて、うどんの薬味としても用いられていました。
現在でも辛味の調味料としてさまざまな料理に用いられています。(「胡椒茶漬け」という料理があったという記録もあります)

余談ですが、日本の九州北部地方をはじめ各地で、南米原産の唐辛子の事を”胡椒”と呼ぶ事もあります。主に九州北部にて製造される柚子胡椒などは唐辛子を使います。

 

さて、この胡椒ですが、大きく分けて、白胡椒(ホワイトペッパー)と黒胡椒(ブラックペッパー)、そして緑胡椒(グリーンペッパー)と赤胡椒(ピンクペッパー)があります。

この色のヴァリエーションの意味を知るのに、まず胡椒が植物の果実であることを知ると分かりやすいと思います。
果実なので、ご想像通り最初は緑色。そして完熟に達すると真っ赤な果実となります。

では白胡椒から。
白胡椒は完熟した赤色の果実を水に浸して果皮を柔らかくし、その果皮を除去して天日乾燥したものです。
果皮がないので、色は白く、風味もマイルドなので、魚介によく使われます。

黒胡椒は完熟していないまだ緑色の果実をそのまま天日で乾燥させたものです。
表皮も残っているので香りが強く、臭みを消したい時や胡椒独特のシャープな香りや辛みを残したいときに使用します。

緑胡椒は黒胡椒用果実と収穫するタイミングは同じですが、乾燥方法で違いが現れます。
天日乾燥ではなく、黒くならないように塩漬け、乾燥機、近代ではフリーズドライ(凍結乾燥)させる方法のものもあります。
さわやかな香りと辛み、きれいな緑色が特徴で、彩りを添えながらペッパーの風味をつけることができます。

赤胡椒:ピンクペッパーと呼ばれるスパイスは、ウルシ科のコショウボクという植物の果実を乾燥させたものが一般的です。正真正銘の赤い胡椒である胡椒の熟果(赤色)を乾燥させたものや、バラ科の西洋ななかまどの実を乾燥させものを使用する場合もあります(クルティーヌでは西洋ナナカマドを使用)。
胡椒の熟果を乾燥させたものには辛みがありますが、コショウボク(胡椒の果実に似た果実を付けるのでコショウボクと呼ばれ、“木”です。胡椒は”つる植物”で木ではありません。)や西洋ななかまどのピンクペッパーは、辛みがないタイプとなります。 料理を華やかに仕上げる彩りや、独特のフルーティーな香り付けとして利用します。西洋ナナカマドのピンクペッパーは香りが非常に強いので、使用の際、一皿に三粒までとクルティーヌでは決めています(イヴ・シャルルの教え)。

では、胡椒の香りや、味わいについて話を進めてゆきます。

料理をする上で、胡椒はまず大きく2種に分けることになります。
それは、原産地の名を冠する胡椒か、冠することの出来ない胡椒か、です。

原産地の名を冠せない胡椒とは大量生産によるコストダウンを求めた胡椒です。それが一般的に流通している胡椒となります。

原産地の名を冠する胡椒は、品種にこだわり、新鮮な実にこだわり、その鮮度を保つようすぐに加工され、その後長い時間をかけて乾燥させる。手間と産地の人々の誇りの詰まった胡椒です。

当然、香りと味わいに大きな隔たりが起きます。(そのぶん価格にも大きな隔たりがありますが・・・)
それに加え、原産地呼称のない胡椒は、わずかにアンモニア臭が感じられ、蒸れたような辛みをもつ傾向があります。大量生産が招いた大きな短所といえます。

原産地の名を冠する胡椒は、香りがじつにふくよかで、透き通った辛み。産地により、様々な特有の香りを持ちます。
有名なところでは、インド産のマラバル胡椒、デリチェリー胡椒、アレッピー胡椒、マンガロール胡椒、インドネシア産のランポン胡椒、ムントク胡椒、マレーシア産のサラワク胡椒、ブラジル産のブラジル胡椒などです。

ラ・メゾン・クルティーヌでは、胡椒はやはり選び抜いています。
初代オーナーシェフであるイヴ・シャルルは、8種類の胡椒を使い分けていました。
友人の一人にスパイス商がいて、世界中を旅して回り、3ヶ月〜半年に1度クルティーヌを訪れる際、まとめて買い、特別な場所で保存していました。

当時は サラワク白胡椒、サラワク緑胡椒、モンゴ白胡椒、長胡椒、キュベベ胡椒、西洋ナナカマドのピンクペッパー、そして、原産地を冠さない白胡椒と黒胡椒。

現在は、日本では入手できない(というよりシェフの友人スパイス商以外からは入手できない?)モンゴ胡椒はあきらめ、ムントク胡椒を使用しています。

胡椒は熱を加えると香りを発します。

ですので、肉を焼く前に胡椒をしてもすべての香りが霧散してしまい、意味がありません。しかも香りの抜け殻となった胡椒の粉が焼けてしまい、焦げた匂いをもたらすリスクが高まる。

ですが、マリネとなると話は変わります。
胡椒の香りを移してから焼き上げる。この場合は、肉に十分香りを移し、防腐効果、抗菌効果の恩恵も与えます。火が入ったあとも香りが消えてしまわぬよう荒く砕いたものを使用します。焼く際は、肉も、胡椒も焦がさぬよう、細心の注意が必要となります。

他にも、スープや、ソースのベースを作る際に胡椒が入りますが、時間をかけて胡椒から香りを抽出するので、粒のまま使用。穏やかな香りを抽出し、不要な辛味は極力出ないようにする為です。

このように、火を入れて使う場合は、アンモニア臭も揮発し、気にならなくなるので、安く、原産地呼称のない胡椒を使います。その香りは他となじんで旨味となるため、得られる効果は高価な原産地呼称を有する胡椒を使用する場合とほとんど変わりませんし、同時に使用するその他の材料により、料理の出来上がりに反映される胡椒そのものの個性はだいぶ薄くなります。

原産地呼称を有し、原産地によって全く違う個性と香りを持つ胡椒をここで使用しても高価なその価値に見合った効果は得られないということです。

では、原産地の名を冠する胡椒はどのタイミングで使うのが効果的でしょうか。
胡椒は挽いた瞬間が一番香りが活きています。火を入れたら一気に揮発してしまう。

ですので、”料理の一番最後に挽く”ということになります。

それが冷たい料理ならば、最後の味の調整時に使用し、すぐにお皿へ盛り付けます。
それが暖かい料理ならば、お皿に盛りつけた食材に提供直前に一振りします。まだ熱を持つ食材、熱を持つその皿に振られた挽き胡椒は一気に香り立ち、テーブルまでその香りを振りまくことになります。

では、ラ・メゾン・クルティーヌの胡椒の紹介です。

<サラワク白胡椒> マレーシア産魚介全般に使用します。白身、特に舌平目との相性は抜群。 ほのかな酸味を有します。どのような料理に使用しても、その香りが邪魔になるということはほぼないと言える万能な胡椒。

<サラワク黒胡椒> マレーシア産 肉料理全般ほぼすべてと相性が良い。(写真中央)

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<モンゴ胡椒> インドネシア産 少し木の香りのニュアンスを持つ柔らかい味わいの胡椒。香りの強さ、辛味、個性が、主張しすぎず、おとなしいところでバランスの取れたタイプ。魚では鮟鱇。肉では仔牛や、乳製品、リ・ドヴォー、兎。そして薫香、オリーブとの相性は抜群。

<ムントク白胡椒> インドネシア産 乾いた木の香りのニュアンス。モンゴ胡椒のバランスに近いが、モンゴに比べ若干辛味が鈍い。(写真中央)

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<長胡椒> 石垣島産 その個性溢れる力強い古代の香りは、内蔵料理、仔羊との相性抜群。ヴァニラやシナモンのニュアンスも。ほのかに甘い。

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<キュベベ胡椒> インドネシア産 フルーティーな華やかな香りで、香りは強め。ほのかに甘い。デザートや、サラダに。 特に苺との相性が際立つ。(写真右)

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<ピンクペッパー> フランス産 バラにも似た香り。使いすぎると香水のような印象になるので、少量をアクセントに。鶏、サラダ、ライチと相性がいい。唯一、ペパー・ミルが必要なく、必要な際に指で砕いて使用。

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<緑胡椒> インド産 仔牛、豚、コニャック、貝類、乳製品との相性がいい。

そして、原産地の名を冠せない白胡椒と黒胡椒は、火入れ用で、黒胡椒は香りをしっかり効かせたいものや、シャリュキュトリー(食肉加品。ソーセージやパテ等)系に使用。 白胡椒はその他全般。

ここで大変なのは、高価なペパーミルをそれぞれの胡椒に用意しなければならないこと(汗。
HONDAや、TOYOTAもペパーミルを作らないかしら。

世界の歴史に深く関わり、戦争の要因にもなった胡椒。
もう少し遡って史書を紐解いてみます。

胡椒は3000年とも言われる長い歴史を持ち、インド・バラモン教の聖典に既にその名が登場しています。同じころに作られた叙情詩「ラーマーヤナ(ラーマ王子の冒険)」にも、「塩と胡椒で食べる食べ物」という記述があり、既にこの香辛料が一般化していたようです。
この香辛料はほどなく、アーリア人(インド系ヨーロッパ人)の手を経てヨーロッパに伝えられ、古代ギリシアやローマで頻繁に使われていました。

当初は食用(香り、味を楽しむもの)というよりは、「医薬品」としての側面が強いようで、「医学の父」と呼ばれた紀元前5世紀ごろの医学者ヒポクラテスは、その著書の中で「胡椒と蜂蜜と酢を混ぜたものは婦人病に効く」と書き残しています。
以後2000年以上に渡って「香辛料の王」としての地位を確立していくことになります。

胡椒が最も活躍した時代は、古代ローマかもしれません。この時代には、通常の料理だけでなく、ワインや魚醤(魚から作った調味料)にも混ぜて使われ、当時の書籍にも胡椒を意味する言葉が頻繁に出てきます。
あまり暖かくないローマでは、胡椒を育てることはできないので、常に高値で取引され、その保有量は権力と財力の証になりました。インドへ向かう船は胡椒と交換する金銀で一杯になったと言います。
使用する時は、この胡椒を面子にかけても使いまくったので、宴会のたびに莫大な金銀と胡椒が消費されたそうです。
この頃消費される胡椒は、だいたいがインド原産の長胡椒で、丸い胡椒はあまり使用されず、長胡椒が白・黒胡椒より高く取引されました。

1世紀の博物学者プリニウスは、著書「地域史」の中で「野生生物の種に過ぎないのに金銀と同じ値段がする!」と書き残していますし、同じころのローマ皇帝ドミティアヌスは、戦略物資としてこの香辛料を大量に保有していました。
1世紀のローマでは金や銀と胡椒が同重量で交換されていたようで、一つかみの胡椒と、牛一頭が交換されたとも言われます。

12~14世紀になると、従来の長胡椒に替わって丸い白・黒胡椒が使用されるようになりますが、高価である、という部分は替わらず、しばしばその高い価値から、法定通貨や”年貢”として通用することもありました。中世ドイツでは、役人の給料を胡椒で支払ったと言いますし、また、罰金や持参金、税金の代わりに胡椒を収めるのは、中世ではよく見られる光景となりました。

イギリスでは、地主たちが小作料を胡椒で支払うよう要求したとも言われ、その名残は今でも、「名目だけのわずかな家賃:賃貸料」を意味する「ペッパーコーン・レントPeppercorn Rent」という言葉に残っています。

胡椒はまた、シルクロードを経て中国にも運ばれ、一部地域では栽培も行われています。マルコ・ポーロの「東方見聞録」にも、中国の杭州(上海に近い中国南部の暖かい地域)では、かなりの量の胡椒が栽培された、ということが記されています。
また、胡椒の一大産地であるジャワには、多数の中国人が常駐し、彼らが中心となっていくつもの秘密結社(胡椒マフィア)が結成されました。彼らの脅威から逃れるために、一部の国は取引の本拠地を他に移さざるを得なかったこともあったそうです。

日本には遣唐使を通じて奈良時代に持ち込まれており、東大寺正倉院の宝物にも、胡椒の実が含まれていたことが記録から分かっています。

胡椒は寒いヨーロッパでは育てられません。遠いインドから運ばれたものに頼らざるを得ず、中世ヨーロッパでも目の飛び出るような値段で取引されたそうです。
ヴェネチアやコンスタンティノーブル(現在のイスタンブール)は、胡椒の交易で大いに栄え、それは東ローマ帝国が存在し続ける限り続きました。

1453年に、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)がオスマン・トルコ軍に滅ぼされると、シルクロードがトルコで分断され、胡椒の陸上ルートが分断されます。
そこで、各国はシルクロードに替わる、新しい輸送ルートの開発へ躍起になりました。のちに「大航海時代」と呼ばれるほどの多くの冒険が行われた背景には、胡椒をはじめとする香辛料の獲得、という目的があったと言われています。

アフリカ周りのインド航路を発見したバスコ・ダ・ガマの持ち帰った数々の香辛料は、仕入れ値の60倍の値段で売られたと言われていますし、また、マゼラン艦隊が船に積んだ7万ポンド(約32トン)の香辛料は、航海費用を差し引いても、なお巨額の「お釣り」がくるほどの利益を、乗組員にもたらしたそうです。

ポルトガルやオランダといった新興国は、これらの香辛料の輸送ルートを確保することで、海運の覇権を握ったとも言われています。

こうして運ばれてきた胡椒は、古代ローマ・ギリシアと同じように、中世ヨーロッパでも権力と財力の証として使われるようになり、貴族は料理にこの香辛料をこぞって使いました。彼らは、それらをふんだんに使うことで、自分がいかに立派で、多くの財産を持っており、気前がいいかを誇示したのです。

いまとは価値観が全く逆ですが、当時の宮廷で言う「高級な料理」とは、お金をかけ、より珍しい食材を遠方から求め、鮮度の落ちたその食材を高価である香辛料を惜しみなく使い腐敗を防ぎ、香り付けをしたものでありました。

鮮度の良いものが手に入る現代、より味わいの複雑さ、香りの厚みを求める高級フランス料理やイタリア料理などでは、当時の宮廷料理から派生した香辛料を使う料理の流れが残っています。

しかし、それは、王朝が崩れ、地位ある宮廷料理人が野に追いやられ、それでも生きる為にレストレー(元気を回復する場所という意味)を開き、安価なポトフを振る舞い、必死で努力した結果、民衆の支持を少しずつ得て、少しずつ料理の質を高め、レストランとして確立していく変革の時代が背景にあります。
偉大と言われるシェフ達の緻密な洗練と努力の過程を経て、継承されてきたテクニックや、感性は、今もなお色あせず、西洋料理の礎となり、胡椒は”スパイスの王”であり続けています。

クルティーヌの縁の下の力持ち

まずは、料理の真髄となる、”ビヤン・アセゾネ・ビヤンキュイ(良い下味と良い火入れ)”に必要不可欠な役者から。

・フルール・ド・セル・ド・ゲランド (塩)

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大西洋に囲まれたブルターニュの半島(フランスを大雑把に星形に見た時の左手のあたり)の南側にあるゲランドと呼ばれる、様々な野鳥達が集まる場所。
ゲランドの塩職人達は、この地で1000年以上も先祖代々から伝わる製塩法をかたくなに守っています。
干潟の高低差によって塩田に海水を引き込み、太陽と風邪の恵みだけでゆっくりと結晶にする塩。いろいろと海のエキスが含まれる為、滋味豊かな証となるわずかに灰色を帯びた白。
収穫後、さらさらに保つ為の個結防止剤は一切添加されていないので、わずかにしっとりと水分を含んでいる。

塩田の水面に最初に浮かぶ小さな白い結晶(静かに浮かんでいるので、ひと雨降っただけで台無しとういう儚さ。)を“花びらを摘むように”手作業で丁寧に収穫した希少な塩。そこから「フルール ド セル(塩の花)」という名で呼ばれるようになったそうです。

・ソニエ・ド・カマルグ ベルル・ド・セル(塩)

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地中海を望むローヌ河口のデルタ地帯カマルグ西部にある、”エグモルト Aigues-Mortes”。
その塩田で作られるカマルグ産の塩は土壌の性質のおかげで、精製していないにもかかわらず、美しい純白色です。
こちらでは最初に塩田の表面に現れる物を『ベルル・ド・セル(塩の真珠)』と呼び、生産者は『ソニエ(塩を作る人)』と呼ばれます。

カマルグを訪れると、スペインに近いので、トロ(闘牛)を見れたり、野生のフラミンゴの群れがいたり、真っ白な白馬がお出迎えしてくれる、非常に美しい湿原が広がる場所でした。
ちなみにこのあたりの海は、うっすらピンク色に見える事があります。プランクトンや、小さな海老が沢山集まってそう見せるようで、「だからそれを食べるフラミンゴはピンク色なのだよ!(ホントか?)」だそうです。

さて、
・ブルターニュ地方のゲランド
・ゲランドの南に位置し、同じ大西洋岸のイル・ド・レ(レ島)
・プロヴァンス地方のカマルグ
と、フランスの著名な自然海塩の産地は3つあります。

ゲランドのフルール・ド・セルは、
びしっと鋭角。それでいて真の太い塩味ベースで、にがりを良く感じる。苦味、こく、甘み、鼻を抜ける海の香りが全体を柔らかい印象にする。なんかバリっぽい。洗練された感じ。

一方、カマルグのベルル・ド・セルは、
丸みのある、それでいて重心の低い塩味ベースで、苦味、こく、甘み、鼻を抜ける海の香りが全体を柔らかい印象にする。海の味をそのまま凝縮させた感じ。なんとなく田舎っぽい。のどかな感じ。

イル・ド・レのフルール・ド・セルも美味しいですが、ちょうどゲランドとカマルグをたして2で割った感じの味わい。なので、今のところ当店では使っていません。

塩の味は収穫する職人の腕によっても微妙に異なります。今使っているゲランドの塩はレコルト・マニュエル氏の物、カマルグの塩はパトリック・フェルディエール氏の物。

フルール・ド・セルは、その価値を十二分に発揮させるため、料理の最後に必ずふります。
野菜等はカマルグの塩。肉や、魚は基本的にはゲランドの塩と、使い分けていますが、仕上がりのインスピレーションによって、少し変わる場合もあります。

やはり、きちんと意味を持って塩を捉え、扱うだけでも味わいや印象が大分違います。料理に不可欠な塩がもたらす影響は、料理の根幹にかかわると考えているので、フランス料理である限り、フランスの塩を使うようにしています。

そう、根幹といえば、その料理がなぜフランス料理と言えるのかという定義について、よく自問自答します。それは、
”フランスの技法を使ってるから”
ということだけでしょうか。

考える時に、立場を逆にして、”外国人が作る日本料理を、それはなぜ日本料理だと言えるのか”と置き換えて考えればすこし分かりやすいように思います。

日本料理とは、日本料理の技術を使って料理しているからというだけではやはり物足りない。
ではなにが日本料理と言えるのか。
きっと、いろいろなニュアンスが密接に絡み合っていて、言葉で定義するのは非常に困難なのだと思います。

しかし、それを納得させる方法はあります。

その方法とは、”日本人が食べて、それを日本料理だと認めるかどうか”です。

食は文化。その民族の感性です。その文化を一番良く知る、その文化の中で生活している人が感性によって太鼓判を押す。これ以上の説得力はないですね。

日本に来たこともなく、書物を見ながら勉強し、外国人が料理長を務める日本料理店で経験を積んだ料理人の料理を本当の意味で日本料理といえるだろうか。
それだけでは足りないと思います。日本で直接、自然環境、食文化に触れ、ある程度長い時間を過ごし、考え方、理解の仕方が、文化が、無意識に体現出来るようになって初めて、外国人でも、日本人が食べて納得する日本料理を作れる可能が生まれてくるのではないか。
そうして、自信を得て、日本国内で日本人に日本料理として提供し、対価を獲得した上、日本料理だと太鼓判を押されてはじめて、外国人が料理人として、プロとして、”日本料理を作れる”と言い得るのだと思います。

ここまで料理を追求すれば、必然的に、塩を軽んじることもないわけです(僕の個人的な感覚です)。なぜなら、海外旅行した人なら分かると思いますが、海の味は、それぞれの海によって違う味がします。塩分含有量や、生息する微生物など、気候風土による影響でとても様々な違いが現れ、最終的に味わいが変わってくるのでしょう。
特に日本は海に囲まれ、塩分というのは、いたるところに存在し、日本の大地、食材すべてに影響を与えています。この塩(ミネラル)が、日本らしい味にさせているのだと感じます。

その他にも、空気中に漂う天然の酵母も国によって違います。フランスのワインの香りは、フランスに浮遊する天然の酵母が大きく影響を与えあの香りにしているし、また日本のワインも然りです。

こういう様々なことを真摯に考えると、先に書いた、技術、考え方(料理哲学だけにとどまらず、フランス文学、思想など)や価値観、文化を、現地でフランス人とともに生活し、深くかかわり合い思想や哲学を共有するという実体験を元にした理解によって、得る、もしくは裏付けることが必要だと分かります(言い切っていますが、僕の個人的な感覚です)。そして、塩や、料理酒、発酵食品をフランス料理に使う場合は、フランス産の物でなくてはならないと考えられます(基本的にです。一度フランス料理をプロとして作れる料理人になったあとは、その応用の範囲(フランス料理に他文化の風を加え、より高いレベルのフランス料理を求める意味)で、多いに使っても良いと思います。)。
その根幹さえしっかりしていれば、主食材を日本の産物にしたり、フランス料理に日本の文化を取り入れアレンジしてもそれは応用なのだと理解しています。

(ここからは自分語りで分不相応な自惚れのように聞こえてしまうことを心配にはなりますが、)

僕は、非常に恵まれた出会いや運命によって、フランスの、パリとポー(南仏)2つの店で計3年間シェフとしてフランス人に料理を提供し、

「カズの料理は、日本の個性を生かした純然たるフランス料理だ」

とたくさんの現地の人々にお褒めて頂いて、たどり着いた結論です。

なにより、作る料理がフランス料理だと認められていなければ、フランス人オーナーやオーナーシェフが、外国人にシェフを任せる理由がない訳で、1つ星を持つオーナーシェフ、イヴ・シャルル(パリ)と、世界最年少3つ星シェフソムリエの記録を持つ名ソムリエ、ジャンパスカル・ロヴォル(ポー)に認められ、シェフを託された事実は自分の誇りであり、大きな自信になっています。

長くなりましたが、すべてをふまえてもう一度、

”ビヤン・アセゾネ・ビヤンキュイ、(セ・トゥ)<(料理とは)良い下味と良い火入れ、(それだけだ)>”

という言葉に立ち返ると、核心をシンプルに言い表した素晴らしい言葉だとわかります。

ちなみに、この言葉は、僕の師であるイヴ・シャルル(ラ・メゾン・クルティーヌ 初代オーナーシェフ)がよく使っていた言葉。
哲学的で合理的なイヴという人をよく現している言葉です。

塩だけで長くなってしまいました。